先日読んだ「きもの」の著者、幸田文さんの娘さんである青木玉さんのエッセイ、
母・幸田文、祖父・幸田露伴の思い出を伴うもので、なかなか面白く読めました(^^)

高名な文人の私生活、人となりって、誰でも気になるものだと思いますが、
この本では、主に幸田文さんにまつわる思い出が語られています。
著作(「きもの」しかまだ読んでませんが)から伺われる凛とした姿勢が
娘の視点という程よい距離感で描写されていて、興味深かったです。
読むにつけ、幸田文という人は、「きもの」の主人公るつ子であり、
その祖母であったのだなぁ、と実感できます。
この作品は著者の晩年の作品のようですが、かなりに自伝的な部分もあったようで
祖母と孫の距離感のバランスや通じてる感が絶妙だったのですが、
どちらも実体験、自分を投影したキャラクターなんだな、と実感すると、
ナルホド、これは晩年ならではの作品なのだなぁ、と思われます。

表題は「幸田文の・・・」ですが、意外と祖父・露伴のことも書かれています。
「箪笥の引き出し」だけに、主に着物にまつわるエピソードが紹介されておりますが、
全くお二方のセンスには脱帽です。
幸田露伴はかなり粋でこだわりの強い方だったようで、
出てくる羽織や帯、小物の話などはとても個性的、
写真も掲載されていますが、とても渋くて品のあるものが多く、感心させられます。
恥ずかしながら、著作は未読なので、今度読んでみたいと思います。
一方、幸田文もとても独自のセンスの持ち主だったようで、
かなりはっきりした好みや主張をもっていたようです。
娘さんの結婚式の衣装選びの話や、結婚式のライトの色味まで吟味した話などは、
独自のこだわりと娘への愛情が感じられて、印象的でした。
ますます惹かれます。 彼女の他の作品も読んでみたいと思います(^^)

青木玉さんは、他にも祖父、母とのことを綴ったエッセイを多数出しており、
折に触れて二人に比べた自分の平凡さ、いたらなさを綴っておりますが、
これは祖父と母に花を持たせる記述であって、おそらくご本人も素敵な方なのでは。
現在その数あるエッセイの一冊、「小石川の家」を読んでおりますが、
こちらの方は、著者の幼少期、ともに暮らした家での生活についての話が中心で、
より普段の生活習慣や日々の出来事に根ざしているものです。
そういう意味では、決して優しい、粋、なばかりではない、生々しい部分が多く、
文人も聖人にはあらず、という感じでなかなか手ごわい一冊です。
それに比べるとこちらの本は、主に着物に焦点をあてているためか、
思い出話も淘汰された美しいものが多く、もっと楽しく気楽に読めると思います。
全編写真も多くて美しいため、素敵な一冊に仕上がっています(^-^)
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by chocolat_13 | 2006-04-09 11:32 | 本・映画 | Trackback | Comments(0)

「きもの」

着物を着る方なら皆さんご存知の本であろう、幸田文の「きもの」を読みました。
幸田露伴の娘であるという彼女の作品、初めて読みましたが、
(・・・というか、露伴も読んだこと無いのですが・・・(^^;)
コレは確かに、着物好きの人ならハマりますね!

時代は大正。
3人姉妹の末っ子るつ子の生活を通して、当時の暮らしぶりや着物での生活が
存分に描かれており、読み応えがありました。
何といっても、主人公・るつ子とその祖母のキャラクターが秀でている、
の一言に尽きます(^-^)
るつ子は、向こう意地の強い、可愛くない子供なのかもしれないけれど、
るつ子の着物に対する感覚、見目よりも肌ざわり、着心地を追求する姿はとても独特で、
読んでいてどんどん惹かれていきます。
何とっても、幼いるつ子が可愛くて可愛くて!
意地っ張りで素直になれない姿は、まるで幼い頃の自分を見ているようで
はらはらしつつも、ついつい応援してしまいます(笑)
また、るつ子の味方である祖母の含蓄のある言葉、性根の座った根性、
場をわきまえた振る舞いは、身近にいてほしい!と思える存在感。
孫のるつ子に語られる祖母の言葉は、着物初心者の私にとってもタメになるもので、
幼いるつ子と同じ気持ちになって聞き入っていました(笑)
昔は、こんな風に一つ家の中で生活を通して色んなことを教わって身につけ、
自然に次代につなげていったんだろうなぁ、と実感しました。

るつ子の友人たちの描写も秀逸でした。
生き生きと語られる当時の女学校の女生徒たちの会話、
卒業するにあたって進路で悩む様、
卒業してからの友人と自分の差に焦る様、など
自分でも思い当たるようなことがたくさんで、
時代は違えど同じなんだなぁ、とすごく共感しました。

着物が自然に生活に根付いていた頃の話、
銘仙、お召し、縮緬、羽二重、などなど、文中、色んな着物が普通に登場し、
ナルホド、これはこういうものだったのね、と得心がいったりすることしばしば。
セルの着物、なんて、あんまり今では聞かないような言葉も出てきて、??でした。
聞いたことはあっても実際に見たことのないものもあり、想像にも限界があるけれど
言葉の響きや着物の描写などからも多くのことが伝わり、十分楽しめます。
柄や着手との関係なんかについての一節もあり、そういうものか、と納得。
本当に着物を知り尽くしている人が書いているんだなあ、と思います。

それにしても、いくら魅力的なキャラクターとはいえ、時代の制限も垣間見えます。
家族のために耐える様、結婚が恋愛ではなく見合いで決まっていく様、
物が豊富ではなかった頃の我慢の様、などなど・・・。
意外と奔放だったのだな、と思う部分がある反面、
精神的に強い、とはいえ、運命や世間、家族などとのしがらみを甘受する部分もあり、
そこは逆に新鮮。
ヘンな話ですが、「渡る世間は鬼ばかり」なんかのドラマで、
どうにも合点がいかなかった感覚の部分が氷解したような気がします(笑)
なんでそういう発想になるんだ!?と感じることが多かった某ドラマですが、
この本に描かれているような時代を体験してきた方の感覚、
と考えると、何となく納得がいくのです。 不思議。
数年後には、現代の私たちの生き様、考え方なども、
同様に言われるものなのでしょうかね??
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by chocolat_13 | 2006-03-31 23:45 | 本・映画 | Trackback | Comments(4)

BOOK1 「やさしい訴え」

秋の読書、先ずは小川洋子「やさしい訴え」から。
実は、昨日記事をアップした時点では、この本は読了しておりました(笑)
現代作家の小説、久しぶりに読んだけどやっぱり読みやすい~。
先を知りたい思いでどんどん読み進んじゃう、テンポの良い小説。
通勤時の待ち時間もあっという間でした。

テンポ感がよいくせに、とってもゆったりした物語。
現実の生活や過去のつらい記憶に苛まれて、都会の生活から人気のない別荘地へと
それぞれ逃れてきた男女の交流のひとときを綴った物語。
カリグラフィ作家の女性と、チェンバロ製作家の男性、そしてその女弟子、
三人の微妙なバランスが織り成す、繊細な物語。
チェンバロが主題なんて、音楽、特に古楽好きは楽しんで読めますね(^-^)
ゆったりとお上品な雰囲気なのに、激情やしんとした孤独なんかも散りばめられて、
チェンバロのか細い響きの彩りが印象的。 ある意味、とってもバロック音楽的?

主に通勤時に読んでたので、いつも聴いてるバロック音楽が始終BGMで流れてました。
もちろんチェンバロも入ってます(^-^)
ラモーじゃなく、主にテレマンだったけど・・・(笑)
表題の「やさしい訴え」は、ラモーのチェンバロ作品の題名だそう。
この曲は知りませんでした。 CDを探してみよう。

この本を読みながら、チェンバロ製作家の姿を追いながら、
私はガンバ奏者のことを考えてました。 
作中で、製作家の女弟子さんが古楽サークルでのコンサートでチェンバロを弾くために
札幌(!どこでやったんだろう・笑)へ出かけるくだりがあり、
このコンサートで共演してたガンバ奏者の人生は、一体どんななんだろう?と
勝手に思いふけっていたのでした・・・。
その後、チェンバロとトラヴェルソのコンサートだったというくだりが出てきて、
ガンバ奏者はいなかったことが判明! 気抜けしちゃいました(爆!)

それにしても、このチェンバロをめぐる製作家と女弟子の間に流れる信頼関係、
ガンバの重奏で描かれたらとってもしっくり来るよ、きっと~!! など、
これまたガンバびいきで考えちゃいました(笑)
映画「めぐり逢う朝」もそうでしたが、同族楽器同士で合わせてあんなにハマる、
通じ合う楽器って、ガンバ以上にはなかなか無いと思うのですがねぇ。
ある複数の人々の心の交流を描くのになぞらえるには、正にぴったり!かと。
贔屓目すぎ??(^^;)

色んな形での音楽への関わり方があるのだな、とも ふと思わされました。
音楽といえば、作曲する人、演奏する人、がぱっと思い浮かぶけれど、
楽器を作る人やコンサートをマネージする人、録音をする人、など 多数の人が関わってます。
ネタバレになりますが、この小説では、カリグラフィ作家である主人公が、
チェンバロを作るという音楽に関わる作業に
製作家の名前を書き込んだネームボードのネームのデザインをする、という形で参加します。
そういう関わり方もあるんだ、と、感心しました。
ガンバの先生が、作ってもらった楽器の頭部の彫刻を、地元の彫刻家の方にお願いした、
というのと通じる話ですよね(^-^)

・・・なんて、何だか本筋とは関係ないところで楽しんじゃってました(^^;)
ラストもピリリ、としてましたよ。
現代小説って、やっぱり起承転結で終わらないのですね。
大団円で白黒はっきりつけて終わる、という形式ははるか昔、
近現代小説では、日常から切り取ってきたヒトコマという捉え方が一般的になったのかなぁ。
映画もそうですよね。
そ・・・そこで終わっちゃうの~、という 背中がムズムズするような終わり方が多い。
それは、ある出来事が終わった後にも人生や人の営みが綿々と続いていくのを考えると、
当然の成り行きではあるのだけど。 どこで切るか、そこが作家の腕の見せ所。
その先の展開を、人生を、読者の想像に任せる。
この小説も、最後の時点での各人の関係性、主人公の置かれた状況が不透明なまま
時間が流れたことだけを意識したという点で、非常にはっとするような終わりでした。
(最後のコンサートのエピソードの前で終わるなら、大団円なのでしょうが・・・。
そうしなかったことで、主人公の孤高性がクローズアップされ、
この小説をぴりりと引き締めたと思います)

この本は、香音さんからのオススメでした。
香音さんがいつかやってみたい、とおっしゃっていた儀式のシーン、とっても素敵でした。
やっぱりガンバで弾くならこの曲?とか、考えちゃいましたけど(笑)
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by chocolat_13 | 2005-10-04 00:00 | 本・映画 | Trackback(1) | Comments(10)

カフェと古楽と着物好きの   お気楽ガンバ弾きの日常です。 


by chocolat_13
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